キノコ採り

私のターゲット(9月〜10月)編

1.スギヒラタケ

2.サクラシメジ

3.ホウキダケと毒

4.タマゴダケ

5.マツタケ

6.バカマツタケ

 

我が秋田県地方、雪かきのことを"雪よせ"といい、キノコ狩りのことを"キノコ採り"という。

雪は、"かく"なんて生やさしい所作では間に合わないくらいドカドカ降るし、キノコにしては"狩る"ほど探し求める必要はなく、そこら辺にたくさんある物を"採る"といった感じだからである。(私の勝手な解釈ではあるが。)

私は父親が大のアウトドア派であるおかげで、幼少の頃より、よく海・山へ連れられて行き、釣りをしたり、キノコや山菜などを採ってきた。その影響が、三十をすぎた現在になっても色濃く残っており、春になるとワラビだ、サシボ(イタドリの芽)採りだと、心がうずき始め、夏になると、アジ釣り・キス釣りなど海の釣りを始め、涼しい風が吹き始める現在、秋になると、私にとっての一年の趣味の集大成である、キノコ採りへと行動パターンが移ってくる。

本来キノコは、一年中通して生えるものであるが、よほどのキノコ通でない限り、春から行動を起こす人はほとんどいない。たいていの人は初秋の頃から誘われるように山へ入っていく。私もその口なのである。先に触れたように、あくまで趣味の範囲なのだから。


 

キノコは9月の声を聞くと、一斉に出始める。私の住む秋田県近辺では、まずトビダケというキノコが8月のまだ暑い盛りに出て、秋のキノコハンターに心の準備をさせる。「おっ、トビダゲ、出だな。そろそろ山も始まりだな。」などと密かに思うのである。


 

 


していよいよ9月に入ると、スギワケ(他方言スギワカイ・スギキノゴ ・スギカノガ等々正式名スギヒラタケ)が、秋田県名物、杉林の中の古い切り株に咲きそろう。本菌は、一度手をかけると成長が止まってしまうキノコで、出会ったら、多少小さくてもきれいサッパリと取り尽くすか、全く採らず2〜3日おいてから取りに来るか迷うキノコである。あまり小さいと、木づけ(キノコの根っこにつく木の破片)を取るのが大変で、手伝ってくれる家族の者にイヤな顔をされること、しばしばである。
 このキノコ、食べ方は様々あるが、最もオーソドックスなのは、味噌汁であろう。ダシが出るキノコなので(キノコ図鑑には、ダシが出ないなどと書いてあることが多いが、これは大間違いである。)たっぷりめの大根下ろしを入れて頂くととてもおいしい。また、天ぷらは絶品である。水気を含みやすいキノコなので、よく水を切ることがポイント。

スギワケが出始めると、私にとってはゴーサインが出たのと同じで、その他色々のキノコ採りへと足を向けることになる。(写真・Mick.R)


※上の写真は2005年9月、まさに採り放題の山で写したもの。探せば道端に手つかずの状態でワンサカある。
これはまさに2004年、急性脳症事件で突然"毒キノコ"扱いにされたためと思われる。

私みたいなキノコ採りのベテラン(笑)に言わせると、確かに去年は発生量がハンパじゃなく、その中には突然変異的に毒を持ったものもあったかもしれない。いや、確かに"それらしき"ものはあったのだろう。そうでなければ、全国的に死者が出るはずもなし。一過性の突然変異的だったからこそ、学者達は決して毒性分を発見できなかっただろう(微量の青酸を検出したらしいが、これは他の食用キノコにも含まれる)し、これから先、いくら研究したところで見つけられないだろう。

そこで私なりの結論。
キノコ採り各位へ。「発生時期が例年よりかなり早く、大量かつ異常(普段は生えないような場所にも生える)発生した年のスギヒラタケは要注意。」これだけは肝に銘じておきましょう。(2005年秋 補足)


 

 

に私が目を向けるキノコは、アカキノコ(他方言バクロウ・マゴスケ等々 正式名サクラシメジ)である。このキノコは周りに必ず松が点在する雑木林が発生第一条件で、大きな菌輪(キノコの輪)を作って、毎年同じ場所に生える。盛りの時に出くわすと、手持ちのビニール袋やコダシ(アケビのツルで作ったカゴ)はいっぺんに満杯となる、キノコ採りにとっては見つけたときに嬉しいキノコの一つである。色は、私が使う方言のように、まるで赤ワインをたらしたかのような、鮮やかな濃赤色で、発見するのを容易にしてくれる。しかしこの美しい赤色も、ゆでこぼすと、まるでサンタクロースが着替えさせられたかのように、きれいサッパリと消え去ってしまい、何とも残念である。

味の方は、わずかにほろ苦さがあるが、鶏肉や里芋、コンニャクなどと一緒に煮て、煮付けを作ると、それぞれの食材がこのキノコのうまみを吸って、とてもおいしくなる。苦みは気にならず、一度食べると病みつきになるうまさである。(写真・伊沢正名氏/日本のきのこ/山と渓谷社)



 

カキノコとほぼ同時期・同地点に生えてくるのが、ハギダケ、いわゆるホウキダケである。このキノコは名称どおり、先端が幾重にも枝分かれし、ほうきを逆さまにした形状であるが、形そのものはどちらかといえば、サンゴに似ているかもしれない。本菌は、もしキノコの美しさランクを作ったとしたら、必ず上位に食い込んでくると思われるくらい美しい。大きな株を見つけたときは、しばしその美しさに息を飲むほどである。ちょうど花火の、最後の閃光がパッと光るかのように、ホウキダケの先端はピンク色で飾られ、人知れず山で咲く命の輝きに、一瞬採るか採らないか迷うほど、このキノコは美しいのだ。

しかしそれでも採ってきてしまうのはキノコ採りの悲しいサガであるが、どうせならせっかく採ってきたもの、おいしく食べてあげたいとも思う。このキノコの仲間には(後述するが)有毒種もあり、食べるときには十分な注意と鑑識眼を必要とする。間違いなく本菌であれば、さっとゆでこぼし、わさび醤油やマヨネーズ醤油で頂くと、何ともいえない風味が口に広がる。固くしまった肉質で、キノコとは思えないような、まるで鶏肉のささみのような食感がある。

私はつい先日、ホウキダケと思われるキノコを大量に採ってきて、いざ自宅で図鑑とにらめっこしたが、最終的に全部捨てることになってしまった。私自身何度もホウキダケは採ってきて食べているのだが、それでもまだ確信できないくらい、このキノコの仲間には種類が多く、毒菌も多いのである。特に、ホウキダケの仲間は古くなると一様に紫色に変化するので、ますます判別が難しくなる。本物のホウキダケは、根本が太く、サンゴ状にのびる枝も比較的短い。肉は白色で、先端は先に述べたように、美しいピンクである。しかし少しでも古くなると、その美しいピンクは脱色し、色の区別が付かなくなる。こうなってしまうと、非常によく似たものでわずかな毒を持つといわれる「ハナホウキダケ」と酷似してくる。このハナホウキダケ、見た目は本物以上に立派で、いかにもおいしそうに見える。まるでホウキダケが少し古くなったもののように見えるせいで、私のように、せっせと採ってきたにもかかわらず、最後は泣く泣く捨てなければならない憂き目にあうのである。このハナホウキダケを普通に食べる地方もあるらしいが、人によっては中毒するという報告例もあるらしいし、私も田舎の祖母から、「ハギダゲのあげのど(赤いのと)きいれのは(黄色いのは)くわえねど(食べられないぞ)」といわれた記憶があるので、思い切って全部捨てたのである。ちなみにキノコの中毒は、軽い下痢・嘔吐などと書いてあっても、決してそんな生やさしいものではないらしい。二度とキノコを食べられなくなるくらいひどいものと、実際中毒した人から聞いたことがある。(写真・伊沢正名氏/日本のきのこ/山と渓谷社)


 

 

しいキノコというと、ちょっと時期は違うが、タマゴダケがあげられる。このキノコ、実に不幸せなキノコで、見た目があまりにも美しく、しかも大きいものだから、一般のキノコ採りの人達に踏みつけられていることが多い。まことに哀れなキノコなのである。

タマゴダケは、その名の如く、地上に顔を出すときは大きな卵のような袋から生まれてくる。出始めの時は、まるで山に卵が落ちているかのようなので、思わずビックリするかもしれない。しかし私はそれを見つけると小躍りして喜ぶのだ。何しろこのキノコ、スープにするとめちゃくちゃおいしいからである。(作り方は後述) 本菌は、成長すると黄色い軸の上に真っ赤な傘を乗っけて、それが大きく開く。成長が早いものだから、採り時が難しいキノコでもある。また非常に壊れやすく、家までそのままの形で持ち帰ることはほぼ不可能である。だから、このキノコをブスキノコ(秋田県地方の毒キノコの通称)と決めつけて踏みつぶされたものでも、私は大切に持って帰る。家に帰る頃にはみんな壊れて、どれがどれだかわからなくなるので、同じ事なのだ。

このキノコは、先述のキノコ達と違って、時期的に早く出る。だいたいこちらでは8月の終わりくらいから、9月の始めにかけて出るようだ。傘の色はアカキノコとは違い、もっと明るい赤で、しかも軸はきれいな黄色なので、かなり遠くからでも認識できるし、毒キノコと間違うこともない。私は発見するとどんな斜面でも登って、心の中で「今晩のスープゲット!!」と叫びながら慎重に袋に入れる。そして家で他のキノコはさしおいて真っ先に料理するのだ。以前キノコの本で読んだことのあるタマゴダケスープを作るのである。丁寧に洗ったタマゴダケを沸騰したお湯に入れ、ダシをとる。そこに固形・顆粒コンソメを入れ、塩こしょうで味を調える。ただそれだけ。もしあったら三つ葉をちらしてもいい。最もシンプルに作ると以上のようになるが、もっとこった料理をしてもこのタマゴダケならそのコクと旨みで、どんな料理でも合うかもしれない。ただ私としては、やはり洋風料理の方が本菌の持ち味を引き出せるような気がする。実際西洋ではこのキノコをいろんな調理法で活用しているらしい。(写真・平野隆久氏/日本のきのこ/山と渓谷社)


 

 

9月も半ばに入ってくると、私はいよいよ香りの王者、マツタケ採りに心が弾んでくる。私とマツタケの戦い(?)は古く、私は19歳の頃からこのキノコのありかを捜して、実に色々な山へ出かけた。今も秋田では山ブームが続いているが、最近は車でどんな奥山でも入れるようになってきた。したがって、マツタケなどの希少なキノコを探すには、人よりも奥に入っていかなければならないわけだ。必然、危険なところもあるし、登るだけで疲れ果てるようなところもある。しかしそういったところを目指して、どんどん奥に入っても、いっこうにマツタケは見つからなかった。ただ闇雲に探して決して見つかるキノコではないからである。キノコには興味のない人でも知っているくらい、マツタケの発生条件というものは厳しい。まして年々赤松が減少しつつあり、その条件はどんどん厳しくなってきている。それは田舎である秋田県でも変わらず、松食い虫被害なども相まって、事態は深刻さを増しているようだ。そんな中、新たなマツタケ発生地点を探し出すのは非常に難しいことで、私も探しはじめてからやっと一本目のマツタケを見つけるまで、5年以上の月日を費やした。

マツタケは赤松に限らず、黒松、トドマツ、オソマツ(失礼)、ツガ林などにも発生するらしいが、私が採りに行くところは、やはり赤松林である。(それも人里近い、車ですぐそばまで行けるような所で、一生懸命奥山だけを探していた当初の自分に対して、とても皮肉な場所である。)たいていのマツタケの発生条件にかなうように、その場所は、日当たりが良く(西日が当たる)、水はけも良い上、下草がない。とても清潔感のある斜面である。

発見した当時は自分だけの場所であったが、最近では近くの人が入っているのか、足跡が付き、松葉を掘り返した跡もあるので、めっきり収穫量も減ってきてしまった。昨年などは一本も採ることができなかった。なにしろ人が入るとなると、どんなに小さくても見つけたら採らないと、次回行ったときに大きく成長して私を待ち受けているなどという保証はないのだから。

マツタケの発生場所を見つけようと思ったら、まず夕方近く、狙いを定めた山を遠くから見渡して、峰に見える松林に西日が当たっているかどうか、すぐ近くに杉林がないか(近かったらダメ)など、確認したらいいと思う。その後現場近くまで行って、土地が痩せているか(腐葉土では全く期待できない)、水はけがよさそうか、等々じかに見る。 いざ松の下まで来たら今度は松を見上げて、枝の伸びている方向の下に立つ。松の枝からしたたり落ちる露の下にマツタケは生えやすいと聞く。目線を低く(地面すれすれに)して、五感を目と鼻に集中させる。間違っても「ああ疲れた」などと言って、そこで一服などしてはいけない。いっぺんに臭いがわからなくなるからだ。傘が開きかかったマツタケは、だいぶ遠くから(5〜6m)でも香りが飛んでくるものだ。だから少しでもマツタケ臭がした場合は、近辺を徹底的に探すことが、マツタケ採りになれるかどうかの決め手といっても良いだろう。

最近ではその発見場所も、私が腰を曲げて探していると、その上をおばさんなどが通り過ぎて行くくらい人が入ってくるようになったので、「そろそろここも潮時かな」と思いつつあった。そして新たな発見へ導かれることになったのである。(写真・Mick.R)


 


の新たな発見、それは同じ山の中での大発見であった。きっかけは上で書いたように、マツタケの発生場所が次第に知られるようになってからというもの、私は別の場所で、人知れず香りを発しているマツタケ達を探したくなった。自分だけの場所。キノコ採りは強欲なものである。自分が採っていた場所に人が来るようになると、そこに行きたくなくなるのだ。そして他の場所を探し出す・・。私は同じ山ならば土の性質も同じ、気候・水はけ等も同等と考え、くまなく探すことにした。そして見つかったのは、何とマツタケならぬ、バカマツタケであった。この名称、立派な正式名称で、学名をTricholoma bakamatsutakeという。発生場所が普通のマツタケと違い、雑木林なので、変なところに出るからこの名が付いたらしい。しかし香りは本物よりも強いくらいで、近くで生えていればよほど鼻の悪い人でない限り、容易にその姿を発見できる(と思われる)。私が見つけたのもそんな感じだった。ふと何気なく歩いていた雑木林の中で、なぜかマツタケ臭がするのである。不思議に思いながらも、「もしかして?」と思い丹念に探す。その結果この珍しいキノコを探し当てるまで、大した時間はかからなかった。傘が開いた立派な物がそこにはあったのである。しかも、発生場所だけマツタケと違うのであって、生え方はマツタケ同様菌輪を作って数本が密集する。あっという間に10本近く採ることができた。誰も採る人がいないから、形も立派な物ばかり。ここ何年で、最も嬉しい瞬間であった。実際見つけて、手にとって臭いをかいだとき、あの独特の香りを確かめることができたとき、キノコ採りの本懐はとげられるのである。(写真・Mick.R)


キノコを採る楽しみは、人それぞれだと思う。少量でもマツタケやマイタケを求めて自分のポイントへ出向く楽しみ。次回書くつもりのナラタケ(方言 モタツ・モタチ・サボダシ・・)などは、群生しているところに巡り会うと、思わず声を出して喜ぶほど楽しい。背のタケ30センチにもなるコガネタケというキノコを見つけたときは、喜ぶ家族の顔までが見えてくる。キノコはそんな不思議な魅力がある。
キノコ採りはそんな感動を求めに山に行く。目的のキノコが見つからなくても良い、新たな発見があるかもしれない、そんな期待を持ちつつ山へ押し入っていくのである。そして運良くキノコが採れたら家でおいしく頂く。正月料理のために漬けておく・・。そして、あの残してきたキノコはどうなったろう・・と気が気でなくなる。あのキノコが私を待っている・・と思うようになったら、もう立派なキノコ採りだ。キノコ採りはその繰り返しである。

 

次回、キノコ採り10月編は、ナラタケ(モダツ)、アブラシメジ(サマヅ)、ハナイグチ(ラクヨウキノゴ)、ナメコ、ブナハリタケ(カノガ)、コガネタケ、ハエトリシメジ、(カッコ内秋田の呼び方)などなどを紹介するつもりであるが、まだ他にもたくさんあるので、興味のおありの方は、次回までお楽しみに!

秋田の10月のキノコへ
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