テメエらっ!!

 

なにやら今、広島の祭が物騒らしい。

胡子大祭という、由緒正しき、伝統格式のあるお祭りが揺れている。

その原因は・・・皆様ご存じの通り、暴走族集団である。

テレビで何度となく映し出されたその光景は、見る者を非常に不愉快にさせるに十分で、また警察の煮え切らない対策に対しては、歯がゆさも覚える。


私はこの世の中で、1位.ヘビ 2位.熱い風呂 3位.暴走族 と、MY嫌いな物の中に奴らは入っている。

名誉の3位に食い込んだ奴らについては、私も落ち着き始める年になったから嫌いになってきたというのではなく、若い頃、それも16〜19歳くらいの最も暴走族に憧れるとされる年齢の頃から猛烈に嫌いだった。

その原因には、一般の人が彼らに抱く嫌悪感とはちょっと違うものが含まれている。

それは何か。

実は免許制度に絡んでいる。

かつて自動二輪の免許は大・中・小の区別がなかったのは周知の事実だ。もっと昔は普通免許におまけで二輪免許が付いてきた。現在60歳〜くらいの人が若い頃に取った免許のほとんどには、本人も良く知らないままに、自動二輪の欄にちゃんと"1"とついている。(使わないんだったらそれ売ってよ〜という気持ちになる(^_^;))

ところが現在では大型二輪免許(over400cc)を取得するにはどれだけ大変か。

最近でこそ教習所で実技を行うところも(法改正で)多くなってきたが、私が20歳前後の頃は、それはもう厳しいものだった。

「免許センターに10回通うことからスタートだ」とまで言ったものだ。何十回となく通って、ようやく手にすることができる、いわゆる「限定解除」。ここまで厳しくなったのは、過去の暴走族達のせいなのである。

そして今現在、その過去の暴走族達は、何食わぬ顔で社会人になり、のうのうと生きている。過去を悔いて何か社会運動でもしてくれたら、ちょっとは見直すのだが。そのような美談は聞いたことがない。

うーん、やっぱり許せないぞ、こいつら。

実際私は限定解除せずに終わった。もはや今から教習所に通って何が何でも限定解除しようという情熱は、寂しいことだが、なくなった。だがその昔、中型から限定解除しようとして希望で胸膨らませていた頃、夜中に爆音とどろかせて、町を我が物顔で走りまくる奴らを見かけると、激しい憎悪感が湧いたものだった。

安眠を妨げられ、しかもテメエらのせいで免許ももらえない・・・・!
奴らと同じく若く燃えたぎる熱い血が流れていた私を、正義の行動に移させるのには十分な理由であった・・・・。

では実際にはどうしたら奴らに一矢報いることができるか。私は真剣に考えた。毎晩のように竹槍マフラーで爆音けたたましくやってくる奴ら。

当時私が仮住まいしていたのはマンションの9階、最上階。そこから奴らを見下ろしていてふと考えついたのは、そこから何かを奴らに向かって投げつけ、まず一人を確保し、警察に突き出すという方法だった。
しかし、問題は何を投げて捕まえてやるかであった。ちょうどマンションの下は交差点で奴らのスピードは落ちる。だが高さがありすぎて正確に物を投げるのには無理があった。魚を捕まえるように投網でも投下するわけにもいかない。

イライラしたまま毎日が過ぎていった。が、ある夜・・・・・・・・


もう時効だと思うから書く話だが、その夜は日中とてもイヤなことがあり、気分が悪くて寝つけないでいた。そしてようやくウトウトし始めたちょうどその時、またしても奴らは爆音を上げてやって来た!!!!! 私は完全にブチ切れてしまい、急いでベランダに向かうと、足下に転がっていたビールの空き瓶を先頭の奴のバイクの前方5m位の所に向かって降り投げた!

5m前方というところがミソである。いくら奴らがバカ集団とはいっても、まともに当てたらケガをしてしまうし、そうなるとこっちまで罪に問われる。バカにカマってモロバカ(こっちまでバカがうつるという意)にはなりたくない。

(ここまでの話の内容はちょっとヤバイものに感じられるかもしれないが、あくまで「警告」の意味を込めてやったことなので、「殺人未遂」には問われないはずだ(^_^;))

(ただしその時は本当に頭に来てしまい、自分を抑制することができなかったことは確かだ。)

投げつけたビール瓶はどうなったかというと、見事先頭の頭(アタマ)らしき奴の前方2m位の所に激しく落下。こっぱみじんに砕け散った。当然奴は驚きまくり、辺りを見回す。しかしバカだなぁ、上から落ちてきたのに決まってるではないか。まわりを見たって、誰が深夜3時に歩いているかってんだ。

状況をつかむこともできないハチマキはっぴ男は、しばしそこに立ちつくしていたものの、まもなく全員を引き連れて立ち去っていった。その一部始終を上から見ていた私は、おかしくてしょうがなかった。今思えば、もう一発投げてみればもっとおもしろいものを見られたかもしれない。

この一件くらいで奴らが静かになることはなかったが、それでも自分の中では少し溜飲が下がったような感じがした。しかし派手に砕け散ったビール瓶を見て、これはまともにぶつけてしまうと、正義感に燃えて行う行為の範囲を超えそうな気がしたので、その後再び投瓶を繰り返すことはなかった。そしてそれからまもなくして、私はそのマンションから引っ越すことになったので、あの集団がその後どうなったかはわからない。おそらく今頃はいい年になって、社会人になったのがほとんどだろうが、私のネットの知り合いで、そのような暴走族連中に向けてキツーイ一言を述べる人がいる。

その人は、そのように過去に暴走行為等を繰り返し、他人に甚大な迷惑をかけた連中に対し、次のような数式を適用している。

1+1=2はだが、-1+1=0 である。

意味がおわかりだろうか。

つまりその方は、普段から善行を行う人が前者の数式で表され、暴走族のように悪行を繰り返すような人間を後者の数式で例えているのである。一度"負"の行いをした場合、それを取り戻すには人の3倍努力しなければならないのである。(-1+3=2 となり初めて普通の人と同じになる。)

これは何も暴走族だけに言えることではなく、どんな人にしても心がけておきたい例えではないか。

でもとりわけ暴走族連中にはこの数式を肝に銘じておいてもらいたいものである。


ちなみに、当時私たちを悩ませた暴走族を取り締まるべき警察は、今をときめく"神奈川県警"であった。そのころから神奈川県警にはすごい噂があった。それは、どんな高校生でも就職先がないときは神奈川県警をうければ採用される、というものだった。まあそれは採用枠が他の県警よりも大きかったから立った噂かもしれないし、その時採用された警官達が今の不祥事の根底にあると断定するものではない。念のため。


話は最初に戻るが、胡子大祭などの警察の取り締まりを見ていると、「なんでこう生易しいのかな」とつくづく思う。

大阪府警の暴走族一斉取り締まりなんて、しょっちゅうテレビでやってるが、まるで腫れ物にでも触れるような、あのご丁寧な取り締まりは何なんだ!!といつも私はテレビの前でイライラしている。

未成年だからか?人権からか?それとも警察自体にやる気がないのか?それはわからないが、「やるときゃ徹底的にやれ!!! 」とテレビに向かって私が怒鳴ってもしょうがないか・・・。これって、私一人の思い?

胡子大祭に現れた暴走族の一員のセリフ。「おれたちゃ、何も悪いことはしていねぇ。」だと。だったら何の大義名分があって歩行者天国の道路を占領する?代替わりの儀式だったら、どこかおまえ達だけの星でやってくれ。特攻服着て、集団でうねうね歩くだけでも人様の迷惑だって、なぜわからんのだろう。そんでもって将来は自分の子供なんかに、「父ちゃんは昔ワルかったんだ・・」なんてつぶやいたりするんだろうなぁ。自分の子供もやっぱり暴走族にしたいのだろうか。自分の妻や両親が病院で臨終の場面、外をバリバリと走っていくバイクの音を聞いて、「ああ、なんていい音なんだ、心がスッとする・・・」なんて思うのだろうか・・・・。思うんだろうな、奴らはきっと。

結論!!!

他人に対して気を使ない人と、使ない人ではわけが違う。後者は改善の余地がある。同じ人間として、私は特攻服の連中には意外と後者タイプの人間が多いのではと、わずかな期待を持っている。毛沢東の言葉ではないが、そんな奴らもいつか反面教師となって、今後の若者を良い方向へ導く人間として生まれ変わることを願っているのだ。

 

もうひとつ言いたいことがある。

最近でこそ少なくなってきたが、少年漫画では暴走族を扱った内容は連載するな!!!ということである。とくに講○社!!! プンプン。(`_´)

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