授業 参観日の父兄懇親会にて(長男、小学四年生)

弁護士 〇〇△△


日ごろ、子供の学校、教育などの問題につき母親の意見を聞く機会はありますが、父親とは接触する機会があまりないので、この機会に父親はどのように考えて いるのか順次スピーチせよとのことであります。

まず、考えてみますに、私は教育熱心な父親ではないと自白しなくてはなりません。

仕事だけで手いっぱいであり、家は寝泊まりに帰る所というのが日常生活であります。たまさか早い日に、子供が寝つくまでいっしょにレコードを聞いてやった り、休みに強くねだられてキャッチボールをするといったことが、主なかかわり合いです。

しかし、それでも私は、一つの弁解あるいは開き直りを持っています。それは教育熱心でないこと、あるいはそうなり過ぎないこと、これが子供の教育にとって 今必要なことではないかということです。

塾の問題、言葉遣い、礼儀作法といろいろ問題が提起されましたが、私は、子供の教育で基本的に大切なことは、子供の個性を尊重し、長所を伸ばしてやること だと思います。

学科の嫌いな子に無理に勉強させ大学にまでやる必要はないと思うし、その反面スポーツでも芸術でも子供に適性が認められ、やる気があるならその道に伸ばし てやることが教育だと思います。

意欲を持って自分の道を選べる子供を育てる、これが大切だと思います。なぜなら、そこにしか生存の証がないからとすら考えるからです。

話が抽象的になりましたが、こんな考えを持っていますので、はた目にはしつけができていなくても、勉強しなくても、それ自体はそれほど私は気にしないので す。

子供の性格を知り、相談相手となれることのほうが、勉強をしろしろと言ってヒステリーを起こすよりはるかに教育的だと考えますので、私は自分のズボラをそ れほど責める気がしないのです。

次に学科についてですが、(息子は)社会や理科の点数がよくありません。良いに越したことはないのですが、これもそれほど私は気にしないのです。

私自身、ずっと成績は中の下で、中学二年のころから自分の進路を考え、高校受験を考え、あわてて勉強をしたのですが、その経験からして、一年間もやる気を 起こしてがんばれば、小中学の学習量ぐらい参考書の独学で十分取り返せると、自分なりに自信を持っているからです。

怖いことは、学科の遅れよりも、意欲とがんばりを持たない、あるいは持てない子を育てることだと思います。

私は、子供には、国語と算数だけは遅れないようにしろと言います。英語も始まったらそう言うつもりです。読み書きの能力は、なんにしても必要だし、またそ れがあれば後は意欲次第で、他の学科は本を読めば分かると思うからです。算数や英語は遅れを取り戻すのが大変で、分からなければ授業もまるっきりつまらな いし、やる意欲も失っていくだろうと思うからです。

最後にまた個性の話に戻りますが、教師も自信を持って、自分の個性で生徒と関わってほしいと思います。厳しく叱ってくれとか、言葉遣いをしつけてほしいと かいった注文は、一切したくないーと思います。

先程来、先生と生徒との間の言葉遣いが問題として取り上げられておりましたが、兄弟か友達みたいな会話の中から、豊かな触れ合いをかもし出す先生もおられ ることでしす。別段、目くじらを立てなくても一応の言葉遣いぐらい大人になるころには身に付けているものではないでしょうか。

言葉遣いに限らず、父兄の批判的な目で、教師と生徒との個性的な触れ合いが困難になっていくとしたら、教育にとって悲しいことではないかと思います。教師が単なるティーチングマシンであっては困ると思います。

教師は教師の個性において教育者なのだという自信を持って、父兄の思わくや期待に引っ張り回されることなく、教え方、諭し方、人間関係の持ち方につき様々 の工夫をし、教育に当たっていただきたいものと考えます。

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