中学校入学式で校長のあいさつ

本日は、当中学校に一年生150名の入学を迎えまして、大変うれしく思っております。

皆さん、入学おめでとう。今日まで皆さんを育ててくだざったご両親、小学校の先生方に、私は心からお礼を申しあげます。中学校は、義務教育最後の3年間です。教科の内容も、小学校とはちがって、担任の先生が全教科を教えるのではなく、科目ごとに先生がちがい、それぞれ専門の先生によって指導されます。それによって、小学校時代にかくれていた才能が発見されて、大いに伸びることがあるし、反対に、いままでできた学科があんがい伸びないこともあります。

この、「伸びない」というのは、中学という新しい環境になれないことのための、わずかなつまずきなのですから、それを克服して、明朗な学生生活を送るように心がけてください。

土井晩翠の詩集「天地有情」の巻頭に、"希望"という詩があります。

沖の汐風吹きあれて

白波いたくほゆるとき

夕月波にしづむとき

黒暗よもを襲うとき

空のあなたにわが舟を

導く星の光あり。

この詩は、ちょうど今の皆さんを歌ったものといってもよろしいでしょう。

皆さんは、沖の汐風の荒れる中を、こぎ出した一そうの小舟に似ているかもしれません。その小舟は、導いてくれる星の光によって、間違いなく希望の彼方へ進むことができるのです。

導く星の光とは、皆さん自身の努力と、先生方の指導との二つの努力であります。中学の三年間は、人の一生を支配する、人間性の基礎を作る、一番大切な時期で、この時代に十分の基礎を作ることができないと、上級の学校へ行っても、社会に出たとしても、十分な成果をあげることはできなくなってしまいます。それは、家を建てるのに、土台ゃ基礎工事をしっかりやらないで、家の形だけを立派にしようとするのと似ていて、基礎のよくない建築がすぐ狂って役に立たなくなるのと同じわけです。

立派な土台を皆さん自身がつくられるように、先生の導きの光りにむかって、正しい進路をすすめてください。そして、二年生、三年生の上級生といっしょになって、大きな誇りと自覚をもって、規律と校風を守り、本校の歴史を受けつぐ一員になってください。

上級生たちは、皆さんの入学を大いに歓迎し、また期待しているのです。どうか皆さん、これからは中学生らしく胸を張り、希望に満ちて、お互いに励まし合い、仲よく中学生活を過ごしましょう。

中学校入学式で来賓の祝辞

本日はご入学おめでとうございます。

明かるい春の陽ざしが校内にあふれ、桜の花が満開で、入学式にいっそうのいろどりをそえているようです。このような日に、この中学校に入学されるあなた方は、まことに幸せ者といえましょう。皆さんは、これからの三年間中学生として、学問にも人間にも磨きをかけることになりますが、それについてひとつお話しをしたいと思います。

ある騎手が、自分の馬を馴らすのに、手綱をひかなくとも、号令をかけるだけで自由自在にあやつれるまでに馴らすことに成功しました。そこで騎手は、こんなによく訓練ができたのだから、もう、わずらわしい手綱をつける必要はないと思い、ある日、手綱なしで野原へ出ました。馬は野原へ出て、いよいよ元気づきました。おまけに手綱でしばられるという行動の制限がなく、自由に走れるのですから、喜び勇んで自然の中をかけつづけます。乗っている騎手は、あわてて止まれ、止まれと声をかけましたが、いったん自由に走り出した馬は止まることはできず、ついに騎手をふり落として、野原をつっ切り、勢い余って深い谷へ落ちて死んでしまいました。あとに残った騎手は、手細をはずしたことをつくづく後悔しました。馬を無制限の自由にしたことが、結局死の谷へ追いやったことになったのです。

皆さん、おわかりでしょうか。自由とは、ブレーキがかかってはじめて有益な自由にはたらくのです。中学の三年間というのは、すぐに過ぎてしまいます。特に、上級生になれば、心身とも大いに発育して、大人に近づきます。そうなると、大人の世界をのぞいてみたくなる。そこで皆さんは制動の手綱を引きしめないと、手綱のない馬のように、方向をまちがえて誘惑の谷へ落ち、人生という先の長い旅から落伍してしまうことになりかねない。この自由にブレーキをかけるのは、理性の判断であります。理性とはわかりやすくいうと、良いことと悪いことをみわける能力です。皆さんは中学生となったからには、まずよき理性人になって上の学校へ進んでも、社会へ出ても、どんな場合にも自分で自分を制御.統一できる人間になっていただきたい。本日の入学式にあたり、皆さんの前途に幸多かれと心からお祈りして、お祝いのあいさつといたします。


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