ご結婚おめでとうございます。わたくしども幸せな誤解者の仲間として、ここに新しい一組が生まれまして、何ともご同慶のいたりでございます。"結婚はまさしく相互の誤解にもとづくものである"とは、イギリスの詩人ワイルドがいみじくものたもうた真理でございます。

恋は不思議なものです。若い女性が申します。「あなたは私への祭壇ヘハートを捧げたいとおっしゃりたいのでしょう」「そうです」「私を得なければ人生は永遠の闇で、私への愛の十字架を一生背負って淋しく生きて行く外はないとおっしゃりたいのでしょう」「そうです」「ああ、あなた、いまおっしゃってくださった美しいおことばは、永久に忘れませんわ」

これはフランスの一口話ですが、男も女も恋の春霞(しゅんか)に大変な誤解をして、結婚することには間違いがないようです。ところが、この誤解を解いて、くしゃみもすれば、鼻もかむ本当の人間の姿を教えてくれ、生活の、そして人間の愛情の眼を開いてくれるのも結婚であります。ワイルドはまた、"人間の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるものなんだ"といっています。お互いに鼻につくころになって、はじめて人間の愛情のよさもわかるというのです。

誤解にもとづいた結婚が失敗のように見えて、実は本当の人間の愛情をつかむことになるとすれば、これほど幸せな誤解はまたとないものです。お二人を幸せな誤解者として、お祝い申しあげます。


ご結婚おめでとうございます。

 菊香る文化の日に、晴れてご夫婦となられ、お二人の前途もこの秋空のように、澄みきってすがすがしいものと思われます。

 ロシアの詩人、マヤコーフスキーは、結婚について

 

いさかいも、

へだたりも、

愛を洗いながすことはない。

愛は考えぬき、

調べつくし、

きわめつくしたものだ。

行の乱れた詩を厳粛にささげて

ぼくは誓う---

ぼくは愛する

変りなくしかも誠実に!!

 

このように歌っておりますが、今日から新夫婦となられました新田さんご夫妻におかれましても、この詩に背くことのないような、強い愛情をもって、新家庭建設のために努められますよう。

 夫婦というものは、特に女の方は、子どもでもできますと、もうおしまいよなどと平気で口にされる方がありますが、私にいわせると大変なまちがいです。夫婦がおしまいのときなんて、あり得ないのです。それがお互いに気心が知れて、はずかしさや慎みが少なくなりますと、ああこの人はこれだけの人かと思って亭主をばかにするようになってくる。また亭主のほうも女なんて大したことないや、まあ動物的本能を満足させておけば、おとなしいものだ、というようにやっぱり心の中でばかにするようになる。

 本日ご誕生の新夫婦におかれましては、そんなことのなきよう、先ほどの詩のように、変りなく誠実に愛し合っていってほしいものでございます。どうぞお元気で、ご幸福になってください。


本日はおめでとうございます。女子大の2年生のときの山登りの友情が、下界の5年聞で恋に生まれかわり、今日ご夫婦になられましたことは、ほんとうにうれしく、およろこびを申し上げます。ハイネは愛する人を得たときに、

薔薇よ、百合よ、鳩よ、陽よ

かつて僕は好きだった、みんな本当に好きだった。

僕はもうみんな好きじゃない。

今好きなのは小さな、華奢(きゃしゃ)な、ただ一人の人

すべての愛の泉、彼女ひとりが今では

薔薇だ、百合だ、鳩だ、陽だ。   

こう歌っております。これは、本日のお二人の心そのままではないかと思われます。

 これからは春子さんは、高校の教師と奥さま業の二本立てで、どちらも学生時代のように、エスケープのできるものではなくなりますが、頭の良い春子さんのことですから、きっとどちらも立派にやりとげられることと存じます。

 と申しましても、共働きというのは、どうしても女性に負担が多くかかり、心身ともにつかれて、ついには仕事を捨てざるを得なくなることもあると聞かされます。そこは優しい剛志さんのご協力をぜひお願いいたします。

 

愛するとは少し死ぬこと

愛する者のためゆえに少し死ぬこと

 

というフランスの歌謡のように、小さな我(わがまま)はお互いに殺して、大きな愛を育てられますようお祈りし、お祝いのあいさつにかえさせていただきます。本日はありがとうございました。





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