本日はおめでとうございます。

ご指名をいただきました赤星でございます。

私は、人生は愛だと達観いたしております。愛とは夫婦(めおと)の様だと考えております。

夫婦(めおと)、つまり夫婦(ふうふ)は、夫が上でも、下でも夫婦であると思います。夫が上の夫婦は封建的で、夫が下の婦夫は現代的だなどとは考えておりません。どちらかが上になろうと、下になろうと夫婦は夫婦です。

これは欧米においても同様です。ベターハーフというのは、よりよき半身などと訳されていますが、これは半身だからといって、下半身がよりよいとか、上半身がよりよいとかいうのではありません。夫婦が一つ身になって、はじめて一人前、人並みだということになっています。これについては、いろいろと説があります。はじめにアダムをつくり、そのあばら骨を取ってイブをつくったから、アダムとイブはハートを合わせることを願うようになったという第一の説と、アダムとイブは、背中合わせにくっついていて、四本の手、四本の足をもっていたが、それではあまりに人間が強いので切り離したので、どうしても元の姿にもどりたがるという第二の説。またアダムとイブは向い合ってくっついていたが、それではあまりに仲がよすぎて、仕事をしなくなったので、切り離したのだという第三の説があります。どの説にも一長一短があって、きめかねますが、みなさんはどの説をお取りでしょうか。ともかく男だけ、女だけでは一人前ならぬ、半身、ハーフだということでは一致いたしております。

このように男女は愛を誓って、夫婦になってこそ一人前になるのでありまして、三人よれば文珠の知恵、二人よれば夫婦の知恵になるのです。一人口は食えなくて二人口は食えるというその協力によってこそ、りっぱな家庭がきずかれ、人間としてほんとうの生活がはじまる、そこに世間の信用もついてくるというものであります。

人生は、のどかな春の日ばかりではありません。大風も吹けば、嵐もくるのです。仕事の苦労もあれば、夫婦げんかのきびしさもありますが、それを夫婦の知恵で、フウフ、フウフいいながらも乗り越えて行くのが夫婦であります。ハーフ、ハーフといいながら難関を乗り越えて行くのがベター・ハーフであります。どうぞ、お二人におかれましても、フウフ、ハーフのご協力を借しまれず、末長く繁栄きれますよう、お祈りいたします。


ご指名の今岡でございます。今日までにも、いろいろと新郎から悩まされておりましたが、新婦とおそろいでまことにおめでたいご様子なので、何か、おめでとうを申しあげるのが面映ゆい気持がいたします。シーザではございませんが"我来り、我見たり"でありまして、"我征服したり"は新郎あるいは新婦におまかせするほかありません。

所変われば品かわると申しますが、あいさつにもその民族によっては、鼻をこすり合ったり、片足を上げたり、ロシア人のように抱き合ったり、日本人のように頭を下げたり、世界に様々なあいさつがあるようです。しかし、国際的に通用するあいさつは何かというと、握手とキスでしょう。日本人はキスというとすぐ、愛人の濃厚なキスを思い出し、息のつまるキスしか知りませんが、それは日本人のあいさつにはおじぎだけという単純なものしかなく「雷の音をあいずににじりより」という川柳のような関係にある男女の、発展したあいさつのし方がきめられていなかったからだろう、と思われます。「こころみにつねってみれば無言なり」といえば、今日でいう"いいわよ"というあいさつだそうでございます。

その点ヨーロッパのあいさつは発達しております。ヨーロッパのキスはなかなか合理的にできております。それだけに、間違えたら大変ですから、ちょっとご紹介いたしますと、手の上なら尊敬のキッス。額の上なら友情のキス。頬の上なら厚意のキスのあることをお忘れなく。唇の上なら愛情のキス。閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。腕の上なら欲望のキスとなります。頬の上の厚意と見せて、すばやく唇に移動するのは盗みキス。稲光りパッと唇うばわれるは奪いキスです。以上の場所以外にしてはいけないとはきめてはありませんが、これはすべて狂気の沙汰のキスと申します。

このように他人から恋人、恋人から結婚という発展段階に合わせて合理的につくられているのがキスのあいさつであります。ただ狂気の沙汰のキスだけはお二人の創意工夫によることになっています。失礼いたしました。


裕君、節子さん、おめでとう。このご様子では、愛情こまやかな、理想のご夫婦になられること間違いありません。

 しかし、みなさん、このままでは、完全無欠なご夫婦、以心伝心、同心同体のご夫婦になってしまう危険が十分にあります。

 みなさん、これでよろしいでしょうか。わたくしは先ほどから心を痛めておりました。裕君が玄関を開ける、以心伝心、節子さんには、この酒がどこで飲んできた酒で、何をぺらぺら話してきたか、わかってしまうのです。お互いに相手の心が、鏡に映るように、みんなわかってしまう、男性のみなさん、これは由々しいことです。お互いに動きがとれなくなってしまいます。以心伝心お互いの心がわかってしまえば、話す必要もなくなって、音声基盤のが故障したテレビの画面のようで、そこにはパントマイムの世界だけが残ります。

 と申しまして、わたしどものように、両方が同時発声をし、混信のうちに、次第にオクターブを上げて、これ以上上がらなくなったときに、物理的な力の法則を応用する、これを一般には夫婦げんかと申しますが、それがよいと申すのではありません。本日は、決して「やれやれ」とけしかけに参ったのではございません。しかし、わたくしは、その被害の大なることに心の痛みを覚えるものですが、それにもまして効用の絶大なることを確信いたすものです。

 けんかの原因がはっきり解明するというのではなく、お互いの弱さをはっきり知り合って、手を取り合って行くよりほかに、生きる道はないと知れば、いたわり合えるからです。

 完全無欠、パントマイムの世界には、人の子の愛はそだたないのであります。どうかお互いの鏡は、適度に曇らせて、いたわり合ってください。


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