肺炎闘病記

私はこのたび生まれて初めて肺炎という病気になった。一口に肺炎といっても様々な種類があるようだが、私の場合、気管支肺炎というものであった。この病気は幼児・老人に比較的多いものらしい。まだまだ青年のつもりの私としては、そのどちらにも該当しない年代だが、医者が言うのだから間違いない診断なのだろう。

 

私はこれまで肺炎という病気は、風邪をこじらせることで自然に移行していくものとばかり思っていたが、自分がこの病気にかかってみて、その事実はどうも間違っているらしいということに気がついた。そこで私は、肺炎というこの病気、滅多にかかるものでもないし、今後再び罹患したときのため、今回の症状を、忘れないうちに記録として留めておくことにした。

私の場合、以下のように病気が推移していった。

 

8月31日夜
 知り合いと飲み屋で一杯。午後7時から11時まで飲む。(そこは、エアコンが効きすぎてとても寒かった。これが今回の病気を誘発したと考えられる。)その晩はちょうど良い酔い加減で、熟睡する。

 

9月1日
 夕方から頭痛がする。二日酔いかなとも思ったが、それならば朝から痛いはずだし、また次第に体もだるくなり始めた。夜になって急激な発熱。(38度をいきなり超す) しかしもの時点ではまだ風邪を引いたと思っており、ユンケルを飲んで就寝。(今思えば、この素人判断がまずかった。)

 

9月2日
朝から高熱が続く。38度から39度半ばまでで推移。ひどい風邪でも引いたもんだと、まだ本人は風邪のつもりでいる。従って、寝ていれば次第に治るだろうと勝手に決め込んで、病院には行かず。このころから熱冷ましの座薬を使い出す。咳も出始める。

 

9月3日
 熱は相変わらず。いつもの風邪なら座薬の一本でかなり楽になるのだが、今回は一瞬熱は下がるものの、その後再び猛烈な悪寒とともに熱がグングン上がり出す。いくら汗をかいて下着を取り替えても好転せず。これはただの風邪ではないなと思いはじめる。この日は塾があったので、座薬をつっこんで授業をこなす。

 

9月4日
 いよいよ家族の薦めで病院に行く。熱はやはり39度前後。胸のレントゲン写真を撮るものの、この時はまだ炎症は発見されず。入院して抗生物質を投与すると早く治ると医者に言われるが、その時間はないと断る。(素直にこの時従っていれば、もっと早く治ったと思うが、後悔先に立たず。)

 帰宅して布団に入っていると、体中が火照りだし、熱を計ってみるとなんと40度を超えていた。子供の時以来の40度突破に、少々焦り出す。私は幼少時から、熱を出すと半端じゃないくらい上がるタチで、39度くらいまでなら、フラフラしながらも日常生活をこなすことができるが、さすがに40度を超えると、そうはいかない。半ば気を失いかけたような状態で、布団からでることもできず。

 しかし、このような状態にあるにもかかわらず、食欲だけは落ちない。水分もかなり取り入れながら、一日三食は摂取した。タンを絡んだ咳がひどくなり始めたのもこのころである。吐き出した痰は、緑色のものであった。

9月5日
 日曜日で病院が休みのため、一日中布団で寝ている。熱は39度。事態はいっこうに好転せず。

 

9月6日
 朝から再び病院へ。担当医が代わり、慎重に診てもらった結果、やはり胸の写真に炎症が見られると言うことで、確認のため血液検査をしてもらう。炎症反応を見るというのだ。点滴を打たれながらその結果を待つが、やはり通常より高めの数値がでて、この時点で初めて肺炎であると診断される(気管支肺炎)。私は肺炎になると血液にその証拠が出ることをこの時初めて知った。せめて白血球の増加程度だと思っていた。

その後熱冷ましの注射と、水分の点滴等、これ以上刺すところがないのではと思うくらい、腕中に針を刺された。そして翌日から毎日点滴に通って下さいと医者から言われる。

 

9月7日
 相変わらず朝から38度以上の熱が出て、さっぱり良くなってこない。担当医もすぐには熱は下がらないだろうと言っていたので、こんなものかと思いながらひたすら我慢する。点滴に行くと2時間近くかかり、それが終わると頭がボーッとする毎日が始まった。食欲は朝からしっかりとあったが。

 

9月8日
 発熱して丸一週間。体力の消耗が激しくなってくる。顔がやつれてきたのがわかる。毎日熱を出して、汗もかくものだから、シャワーを浴びないわけにもいかず、熱冷ましの錠剤を飲んで少し熱を下げた状態で汗を流す。

 一歳半の娘もこの頃から咳をし出して心配する。私と似たような咳が出るので、もし発熱したら大変なので、同じ病院に通わせる。咳止めの薬をもらってきて飲ませるが、さっぱり効き目がないようだ。しかし娘はその薬が大のお気に入りで、せがむようにして飲んでいるのが滑稽だった。

 

9月9日
 朝の発熱が以前より若干落ち始める。それまで38度以上だったものが、37度台後半まで下がる。体もわずかだが楽になり始める。点滴は相変わらず2時間かかり、その時間がもったいないので、片手で文庫本を読むテクニックを収得する。この時点で針の刺される右手は内出血して、真っ黒になり、まるでシャブ中のようになった。

 夜、札幌から帰省した友人宅におじゃまする。熱冷ましの錠剤を飲んでいったものだから、状態は悪くなかったが、ダラダラと流れ落ちる汗に辟易とする。またその席で久しぶりにビールを飲む。ところが薬のせいか熱のせいか、味覚がおかしくなっており、特にアルコール類はまともにアルコールの味がして、ちっともおいしくない。また熱が出始めてくると、酔っているのか熱のせいでフラフラするのかわからず、せっかくの酒がつまらないものとなるのであった。

 

9月10日
点滴の最終日。朝の発熱が37度台前半になる。こうなると体はずいぶんと楽である。しかしそれまで連日続いた熱のせいで、熱に対する感覚がマヒしており、平熱でもまるで発熱しているかのような、不思議な感じがある。

 再び血液検査。炎症反応の数値がほぼ正常にまで落ち、確実に快復に向かっている。担当医も最後の点滴として抗生物質一本だけにしてくれた。それまで毎日2時間近くかかった時間も、最終日のこの日はわずか30分ほどで終了した。熱は平常近くまで下がったが、咳がひどくて困る。就寝時も痰がからんだ粘りけのある咳が出て、熟睡できない。

 

9月11日
 熱が平熱になる。が、体力がかなり落ち、少し動くだけですぐに疲れてしまう。しかも咳がひどく、薬の効果がなかなか現れてこない。だがタンの色は以前の緑色から、白いものへと変わっていた。

 

9月12日
 咳は相変わらずだが、いつまでも寝てはいられない。思い切って外出する。自宅から40キロほど離れた大曲市や秋田市に出かける。はじめは何ともなかったが、やはり長時間の運転に疲れ、予定も半分に切り上げ、自宅に戻って休息する。

病み上がりという言葉をつくづく実感する。


そしてこれを書いている現在。仕事には復帰したが、まだまだ体力は60%程度しか戻っていないようだ。すぐに疲れてしまう。

内服薬の副作用かもしれないが、発汗も甚だしい。味覚も完全には戻っていない。

 

それよりも今回の病気で考えさせられたことは、自分の入っている保険では、今回のように通院して療養したのではまるで意味がないものばかりで、最初から医者の言うとおり入院していれば良かったと、今になって思っている。だが、その最初に診てくれた医者は、肺炎と断言しなかったし、完治までどのくらいかかるかも言ってくれなかった。二人目の、病名を肺炎と診断してくれた医者は、今度は入院しろと言ってくれない。私としてもはじめから肺炎とわかっており、治るまでこれほど日数がかかるのであれば、家族に迷惑をかけないという意味でも、すすんで入院していたのに。保険的にも十分適用される日数がかかったのだから。

 

私が通った病院は、市内で一番大きな個人病院だが、やはり少々距離は遠くても、大きな総合病院に初めから通った方が結果的に良かったのでは・・・と、今なおまだボーッとした頭で考えているのである。

(9/13記)